61日目

2020年6月6日。

6月6日は悪魔記念日と聞いたことがある。

理由は知らないしそんな興味もない。

ただいつも梅雨の天気が悪い一日である気がする。

アメリカに住む限り梅雨は関係ない。

特に私の住む地域は乾燥しており、年間でも雨は60日に満たない。

そんな地域でも今日は雨だ。

朝からしとしとと静かに降り続いている。

雨は嫌いだが、雨の日は好きだ。

いつも聞こえる人の話し声や車の走行音は聞こえず、ただ雨が葉に落ちる音が響き、静かな世界が待っているからだ。

私はこの時期の生まれということもあってか、雨の日はよく眠れる。

朝を伝える眩しい太陽光もないし、寝苦しくなるほど気温が上がることもない。

雨の音は周りの雑音を打ち消して、深い海の底へ連れて行き、まるでメトロロームのように催眠をかける。

本来なら今朝もそうなるはずだった。

しかし、6時すぎに目覚めると、枕の傍に蟻を発見してしまい目が覚めた。

1匹ならいいのだが、2匹3匹とどんどん見つけてしまう。

仕方なく起き上がり布団をサーチすると、計10匹程度見つけてしまった。

大方服についていた蟻をそのまま連れてきてしまったのだろう。

というかそうでなくては困る。

蟻自身が寝床を探し当てたとなると話は厄介だからだ。

寝室にも駆除剤が必要になる。

だが、それは多分大丈夫だろう。

寝室を見渡しても、蟻の残党を見つけることはできなかった。

しかし折角の雨の休日の朝を邪魔された事は間違いない。

こんな時は心地の良い音楽でも聞いて気分を落ち着かせることにしている。

今日はSmooth Night Jazzを選曲した。

夜ではないが、落ち着いた曲調のものを探すとNight Music になることが多い。

そういった意味で、自然とJazzも多くなる。

Jazzはいい。

歌詞がないことで余計な先入観を持たずに、曲調に酔いしれることができるし、耳障りな音もない。

気を衒わない、それでいて退屈ではない。

1年前にNew Orleansを訪ねた。

Jazzの本場ということもあり、街中にJazzが流れ、陽気だがどこかしっとりした情緒ある街並みで、一気に魅了された。

そこではバーボンストリートというそこらかしこにBarが並ぶ通りを歩き、お酒を飲み、Jazzを楽しんだ。

新婚早々にいった場所ということもあり、思い出深いし、大好きな場所だ。

New Orleansはコロナ禍で大きな被害を受けているようだが、落ち着いたらもう一度訪ねたい。


今朝、私が起床して1時間ほどでパートナーもリビングに顔を出した。

そこで最近話題の『リアリティーショー』について話した。

イギリスの某有名リアリティーショーは出演者がかなり過激な行為を行い視聴者の人気を得ることで大金得ている。

しかし出演者への誹謗中傷がとても多く、自殺者が後を立たない。

それについてどう思うか。

はじめに私はこう意見を述べた。

誹謗中傷した人が最も糾弾されるべきであることは言うまでもないが、それに加えて行き過ぎた番組内容は制作が規制すべきだった。

これは誰もが同意する意見だと思っていたが、パートナーは違った。

出演者は理由はともあれ内容を理解した上で出演を自ら望み、過激な行為も自らの選択だった。

また製作側は放送法を遵守した上で過激な視聴者向けの番組を作成したに過ぎないし、過激な内容を自粛するとしても、線引きはどう決めるのか。

それこそ賞金が懸かっているのに、製作側の判断で線引きしたら制作側にコビを売るような番組になり不公平だ。

どちらも同意の上でビジネスをし、その結果出演者の予想に反して誹謗中傷が激しく亡くなったのだとしたら、それは自業自得だ。

そういった番組自体が悪いというなら、そういう人は見なければいい。

確かにそれは論理的で的を得た答えだった。

一方で、本当に自業自得と突き放した言い方に違和感があった。

仮にも人が亡くなったのだから、その人がどんな悪人でも自業自得と言っていいいのか。

まるでその人の命が大したことないものと言っているように捉えてしまった。

だからと言ってその人の為に何ができたか、また何をこれからできるのかというと私にはできなかったしこれからすることもないと思う。

せめて誹謗中傷をしないとか、そう言った類の番組を視聴しないことぐらいだ。

そう思うと自分の無力さを思い知り、何もできないのに同情し他者を糾弾するなんて偽善者じゃないかと嫌になった。

無力さと偽善。

それは浅ましいもので認めたくない自分の一部だった。

それをパートナーに話すと、こんなことを言った。

誰だって無力だし、偽善者でしょ。

世界中の人を助けられるわけないし、自分も生きてるんだから全財産を使うこともできない。

ボランティアでホームレスに水を配っている人だって、感謝されて気持ちいから続けられている。

もし誰からも感謝されなかったら、続けない。

要は感謝されるから、見返りがあるからという理由が多いか少ないかだけだよ。

100%見返りがなくても人のために尽くす人なんていないよ。

そうか。

パートナーは一見すると冷たい人間のように見えるが違う。

自分の無力さも偽善も、浅ましい部分を理解しているんだ。

理解した上で、他者と自己を区別して自分にできることをしている。

すごいな。

私は看護師になり、人に尽くすことが当たり前になり、それができないと恥じなくてはいけにと考えるようになってしまった。

看護職としてはその精神も大事だが、それでも自己を大切にできなければ周りも大切にできないし誰も幸せにならない。

結婚して1年半、同居して1年2ヶ月経ち、やっと自己と他者の分離は自分も大切な人も幸せになるために必要なことだと気がついた。

気がついただけでも、大きな進歩だ。

あと3年近くで、私はもっともっと変わることができる。

今はそんな気がするし、そうなると確信している。

改めてパートナーと出会えて、一緒にいることができてよかった。

そして私もパートナーにそう思ってもらえるよう、成長していこう。

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